柵(しがらみ)なき重力論

自由に重力論を展開します。

そう見えることと、そう在ること

われわれの日常では、そうは見えているけど、実際はそうではない、ということが時々あります。

あの先生は怖そうに見えるけど、実は優しい、など。

物理の世界ではどうでしょうか。

 

量子力学では「測っていない値は存在しない」という考え方があるようです。

アインシュタインは、パイスと散歩しているときに、「われわれが見上げているときにだけ月が存在していると君は本当に信じているのか?」と尋ねたとか。

アインシュタインは、人間がそれを観測していようがいまいがそれは存在する、という考えだったようです。

 

古典論では「われわれが観測するものと、そこに在るものは同じ」となります。

逆に言えば、「われわれが観測できないのなら、それはそこにない」ということです。

観測できるということは、もっと物理学的に言えば、われわれと相互作用するということであり、われわれと相互作用することがなければ、それはそこにない、ということです。

われわれが、日常のスケールで相互作用するのは、電磁力と重力ですから(重力は幻想ですけど)、電磁力と重力とのどちらかと相互作用しないものは、われわれの日常にはない、ということになります。

 

さて、相対性理論では、「長さが縮んで見える」、「時間が伸びて見える」などとの表現がよく出てきますが、これは、ただそう見えるだけなのか、それとも、実際に縮んだり伸びたりしているのでしょうか?

「実際に」というとちょっと語弊があるように思います。「事実上」という言い方が適切かもしれません。

高速度で動いていると、「事実上」、距離は縮みますし、寿命は延びます。

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